夏の夕立 

地図から消えた村の記憶

村の記憶4

北陸が大雪に見舞われているとTVのニュースが伝えている。

スーパーマーケットの棚が空っぽになっていると全国ニュース。

10年前の東北震災の時、水と食料をクルマに積んで向かった先でそんな光景を何度も見た。

 

今回の雪が大雪とは言っても、自分が20歳台の頃は毎朝20~30センチの雪が積もるのは普通だったし、道路が雪で穴ぼこだらけになることも普通だった。スパイクタイヤにチェーンを巻いて、ほとんどの人が後輪駆動のクルマで慎重に走っていた。

 

あれから35年くらいの時間が経って、世の中はインターネットが発達してスマホ一つで何でも調べることが出来るし、通販でなんでも買えるようになった。コンビニは24時間営業していて超便利な社会を作り上げたはずだった

 

昭和38年の豪雪。白峰村が孤立しているとニュースになり、自衛隊のへリコプターが河原に救援物資を運んで来た。左義長をする河原の広場に、本物のヘリコプターを見に人が集まったのを覚えている。

 

村には幾つかの店があり乾物や缶詰を売っていた。夏の間に畑で野菜を作り、秋の終わりには冬に食べる漬物や身欠きニシンと大根をつけた保存食を木桶に漬け、米や木の箱に入ったみかんや籾殻に埋まったリンゴもあった。

 

ニュースにはなったが、村の人たちは誰も困っていなかったという。

 

冬、村に届く郵便は週に何回か大人たち6~7人が大きなリュックサックを背負い、スキーの杖をつきながら隊列を組んで雪道を運んできた。昭和48年になっても朝刊が届くのは昼だったし、手回しの電話器で交換手に先方の電話番号を伝えて電話を掛けていた。

 

昼にセブンイレブンに行った。パンの棚は空っぽで、おにぎりの棚には細巻きが2本あった。北陸自動車道では1500台のクルマが立ち往生したらしい。

 

何時でも何処でも、すぐに連絡が着く。食べ物でも衣服でも、何でもが直ぐに手に入る。その仕組みを支える仕組みは、どれほど大掛かりなものなのだろう。

 

我々は本当に幸せな未来に向かって進んでいるのだろうか。