夏の夕立 

地図から消えた村の記憶

村の記憶2

母の認知症が進行し始めた頃、昔の記憶を辿る事で元気になればと思い、村の盆踊りで歌われていた民謡を聞かせてみようと思った。

 

11月から4月まで深い雪に覆われ、春から秋までは屋外での土木作業や山仕事が中心の貧しい村での楽しみは少なかった。そんな暮らしのなかで盆踊りは数少ない楽しみだったと思う。

 

白峰村役場から発行された民謡CDに「じょうかべ」が収録されていた。運動場のスピーカーから流れるこの歌が周りの暗い山に木霊する風景と、何とはなしに昂る気持ちが盆踊りの記憶として自分の中にも残っていたことから、この唄にしようと思った。

 

歌詞を確認するために、家の本棚に桑島の民謡冊子があったと思い捜したが見つからなかった。引っ越しの時に整理したのかも知れない。興味がないとはそういうものだ。県立図書館に行けばあると思った。

 

書庫から出して貰った「桑島民謡集」は昭和50年9月に桑島民謡保存会が発刊したものだった。そこには懐かしい人達の名前があり、昔は若かったこともあってか興味を持たなかった掲載文に引き込まれていく自分がいた。

 

『じょうかべの起源はかなり古いものだと言われている。嘗て金沢大学の川口久雄先生がこの唄を探し求めて桑島の地を訪れ・・・・この唄は浄瑠璃から変化したもので数千年前に中国から渡ってきたものであると、その時のことを北国新聞で発表されたことがある』(桑島民謡保存集20ページ)

 

初めて知った話だった。

 

場所は県立図書館だから、探せばその記事に辿り着くことが出来ると思った。しかし文章には記事になった年も月日も載っていない。図書館の検索端末でキーワードを幾つも打ち込み、司書の方の手を煩わせながら資料を出して貰った。桑島の盆踊りが9月10日だったことが分かり、ならば新聞記事は9月11日~13日位だろうと見当をつけた。北國新聞の縮小版を順に捲っても記事は見つからず、「ここから先はマイクロフィルムを見ていくしかない。かなり大変ですよ」と言われたが、ここまで来たら、もう止める訳にはいかなかった。

 

そして見つけた新聞記事。そこには初めて知る「じょうかべ 目連尊者の地獄めぐり」の歴史と「桑島民謡集」の編集者として名前が載る酒井芳永さんの若い頃の姿があった。とても感動した。

 

酒井芳永さんは民謡集の編集後記で「手取川ダムはついに私共の平和と団結を根底から破壊してしまった」と書き残している。この言葉が桑島に関する記憶を頼りに調べたことをブログに残そうと決めることになった。

 

話を最初に戻すと、母の認知症は民謡を聞かせても反応は無かった。

もっと早くに聞かせていれば違ったのかも知れない。

 

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北國新聞昭和30年9月12日朝刊